午前中に「有間皇子(ありまのみこ)のお墓ではないか?とも言われる岩内第一古墳」を散策しての浜での半夜釣りです。この浜は、その墳墓から遠くない位置にあって万葉人が都から牟呂の湯(白浜温泉)に旅する途中に立ち寄ったかもしれません。
ただ、浜の防風林の松は後の江戸時代に「あの暴れん坊将軍が植林した」とされていますので、当時は現在のような見事な長い浜ではなかったかもしれませんが、大まかな地形はそう変わらないので夕日や月などは当時も今夜も同じような感じだったのでしょう。
スタートレックでは年代測定に星の位置関係を使っている場面が見掛けられますが、私にはそんな知識もありませんので夕方は夕方、夜は夜。今も昔も変わらないものという認識なんですね。
有間皇子
「日本版ハムレット」ともいわれる有間皇子の物語は天皇の子として生まれて陰謀によって19歳でこの世を去ったという悲劇?の主人公らしいんですね。その有間皇子の墓碑は此処より少し北の海南市にあるようなんです。
ただ、私が思うに「都(多分京都)で逮捕された有間皇子が白浜で湯治中の天皇に死刑を言い渡されて(白浜から)40㎞近く離れた海南市内で死刑になる」なんてことは現実的なのだろうか?ということなんですね。
彼が処刑されたのが海南の藤白というところだと言い伝えられていますが、彼の辞世の句ともいえる歌が岩代(いわしろ)で詠まれていることなどから岩代で処刑されたのかな?なんて想像したりしてしまいます。で、お墓が御坊市にある・・。これは一緒に処刑された中に塩屋・・と呼ばれる人もいたらしくて(塩屋という地名は御坊市にある)彼はこの地域の出身者で、その塩屋の近くにこの墳墓があるんですね。
今夜の釣りは
まあ、私の夢物語はこのくらいにして・・。万葉人の時代と比較すれば、釣り道具は比較にならないほど進化しているでしょう。その進化した釣り道具を使って釣る私たちの(特に私の)釣りは、どれほど進化しているのでしょうか?
少なくとも釣りのワクワクやドキドキは今も昔も変わらないんじゃないのかな?昔は道具も古風で餌も今のような便利なものはなかったでしょうが、魚の数は多かったはずです。山にももっと緑が多くてそのおかげで海も豊かだったんじゃないかな?
「釣り具が古風なのを魚の数がカバーして楽しさは変わらなかったか?」今夜の私は、投げサビキ(3本針に初挑戦)に中国産のアミエビが2.5kg(だったかな?)で鯵に挑みます。サビキは吹き流しで通します。釣れなくても縺れても途中で錘は付けない決心です。
しっかりと撒き餌をしたので
「吹き流しオンリー」に初挑戦ですので、心して撒き餌はしっかりと撒きます。吹き流しの方がヒット率が良いのは分かっていますが、針ハズレや仕掛けの縺れでロスが多いのも事実ですから、釣れるときに釣れるだけ釣りたいんですよね。
ただ、いつまでも釣り続けるわけにはいきませんので、餌の予備は持ってきていません。あるだけ投げたらおしまいになります。先ずは、カゴにセオリー通り撒き餌を8分目くらいまで入れて投げます。シャクリは鋭く小さめに。上かごですからカゴが「ピクリ」と動いて撒き餌がカゴから出るだけでいいんですね。
鋭く小さめなシャクリは続けて2回入れて投入時の撒き餌は完了です。たいていはそのまましばらく潮に流しますが、喰ってくれなくて我慢の限界が来たら、もう一度小さく鋭いシャクリを入れます。それでもまだカゴの中に餌が残っていると想像出来たらもう一回しゃくって暫く待って、回収します。
だいたいこのパターンをなるべく崩さずに撒き餌が無くなるまで続けた結果が今回の釣果になります。釣れ始めたら撒き餌の量を減らすなんて芸当はやってみる余裕すらありませんでした。ただ、釣れることだけを願って投げ続けましたよ。
では、また。