
「黒・桃太郎」——もう一つの英雄譚?
桃太郎といえば、日本人なら誰もが知っている昔話の代表格だ。
大きな桃が川を流れてくるという奇想天外な導入、鬼ヶ島へ向かう冒険、そして「正義のヒーロー」として悪しき鬼を成敗するストーリー。
子供の頃に親しんだこの物語は、単なる娯楽話にとどまらず、勇敢さや正義感、仲間との協力の大切さを教える寓話としても機能している。
しかし、大人になってふと考えてみると、「本当に桃太郎は正義のヒーローなのか?」という疑問が浮かぶ。
鬼は本当に悪なのか? 桃太郎の行為は「正義」と呼べるのか?
そんな視点で桃太郎を描いたのが、芥川龍之介の『桃太郎』だ。

鬼とは何者だったのか?
昔話において、鬼とは「悪の象徴」として描かれることが多い。
桃太郎に限らず、『一寸法師』や『羅生門』でも鬼は退治されるべき存在とされている。
しかし、その実態はどうだったのか。
例えば、桃太郎が鬼ヶ島で奪い返したとされる「宝物」。
昔話では、鬼が人間から略奪した財宝を桃太郎が取り返すという筋書きになっているが、そもそも鬼が奪ったという確証はない。
ひょっとすると、鬼たちは自らの文化圏で正当に得た財産を持っていただけかもしれない。
それを桃太郎が「正義」の名のもとに略奪したのだとしたら、彼の行為はただの侵略ではないのか?
芥川龍之介の『桃太郎』では、鬼たちは平和な暮らしを営んでいる存在として描かれている。
彼らは残虐な暴君ではなく、楽天的で穏やかな種族だった。
そんな彼らの楽園に突然乗り込んできたのが桃太郎だ。
彼は鬼たちを皆殺しにし、最後の鬼の酋長が「我々はあなたに何か悪いことをしましたか?」と問うと、桃太郎は「来たかったから来ただけだ」と答える。
この言葉の冷酷さをどう受け止めるべきか。
我々が子供の頃に信じていた「桃太郎=正義の味方」のイメージが根底から覆される瞬間である。

「英雄」と「侵略者」は紙一重?
歴史を振り返ると、多くの戦争や征服は「正義」の名のもとに行われてきた。
自国の繁栄のため、あるいは「野蛮な異民族を文明化するため」という大義名分が掲げられ、他国を侵略し支配するケースは枚挙にいとまがない。
桃太郎の鬼退治も、そうした歴史的背景と重ねて考えることができるのではないか。
芥川龍之介の『桃太郎』は、そのような歴史の皮肉を寓話的に表現しているのかもしれない。
桃太郎は、「自らの大義を疑わない英雄」の典型だ。
彼は自分の行為を「正義」と信じて疑わず、鬼を「悪」と決めつけて殲滅する。
だが、鬼の立場から見れば、それはただの侵略でしかない。
童話に潜むプロパガンダ
桃太郎の物語には、戦時中の日本政府によるプロパガンダ的な要素が加わったという説もある。
戦前・戦中の日本では、桃太郎の話が「国策」として利用され、「鬼=敵国」「桃太郎=日本軍」という図式で語られることがあった。
童謡『桃太郎』の歌詞を見ても、それは明らかだ。
「日本一の桃太郎」
「お供にするぞ、犬・猿・雉」
「鬼の征伐、エイエイオー!」
このような勇ましい歌詞は、まるで軍歌のようでもある。
戦時中の教育では、子供たちに「桃太郎のように勇敢に戦え」というメッセージが込められていたという。
つまり、桃太郎は単なる昔話ではなく、時代の価値観によって形作られた「国家的な英雄像」の一つとも言える。
だが、戦後の価値観が変化した現在においても、我々は無意識のうちに「桃太郎=正義」という構図を受け入れているのではないだろうか。

桃太郎は本当に「ヒーロー」なのか?
芥川龍之介の『桃太郎』が提示する疑問は、現代社会にも通じるものがある。
「正義」とは何か?
「悪」とは何か?
それらは絶対的な概念ではなく、立場や視点によって変わるものではないか?
桃太郎は鬼を悪と決めつけた。
だが、鬼にとっては桃太郎こそが「侵略者」であり「悪」だったのかもしれない。
そう考えると、「英雄」と「悪役」の境界線は非常に曖昧だ。
歴史上の英雄たちも、彼らの行為が本当に正義だったのかどうかは、勝者の視点で語られることが多い。
もし鬼が桃太郎に勝っていたら、「鬼ヶ島の英雄伝説」として別の物語が語られていたのかもしれない。

あなたはどちらの桃太郎を信じるか?
桃太郎の物語は、我々が子供の頃から慣れ親しんできた「勧善懲悪」のシンプルな物語だ。
しかし、芥川龍之介の『桃太郎』は、その常識に疑問を投げかける。
鬼は本当に悪者だったのか?
桃太郎は本当に正義だったのか?
あるいは、桃太郎はただの侵略者にすぎなかったのか?
一度、子供の頃に読んだ桃太郎の物語を思い返しながら、芥川版の『桃太郎』を読んでみるのも面白いかもしれない。
そこには、「正義とは何か?」という、シンプルながらも奥深い問いが隠されているのだから。
では、また。
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