この時期終戦の日に関連したニュースが増えますね。あなたは、テレビで見ますか?地上波?衛星波?ケーブルテレビ?インターネット?ほかにもあるかな?ラジオ?
ラジオなら「聞く」になりますね。終戦の年=1945年頃は、ニュースや情報はどんなメディアを使って広められていたのか。考えてみたいと思います。
戦前・戦後のメディア
終戦の日で一番に思い出すのが「堪え難きを堪え・・・」昭和天皇の玉音放送です。正しくは「終戦の詔勅」というのだそうです。
これにはレコード版もあるそうで、広く配布された物か?ごく少量制作された物かは私には判りません。
当時の考え方からすると、天皇のお言葉を録音したものを、多数複製したとは考えられず、ごく少量だけ作られたと考えるのが正しいとは思います。
ラジオ以外となれば「活字情報」。回覧板、掲示板、新聞。週刊誌はまだなかったかな?他にはチラシ類?。音のメディアは「有線放送(街頭放送)」と「ラジオ」でしょうか。
因みにテレビは日本人の「高柳健次郎氏」1926年(昭和元年)12月25日、世界で初めてブラウン管による「イ」の字の電送・受像に成功しました。
ただ、1945年の終戦当時にテレビは一般的ではなく。活字以外はラジオが主流の時代でした。そのラジオも(初めの)大正14年頃は「探り式鉱石受信機」第一声は「アーアー聞こえますか」でした。
大正15年頃には電池を電源とした(このころは、まだ商用電源は無かったのか?)真空管式ラジオが登場していたが、まだまだ高級品でした、
1930年代にはラジオの低価格化と品質の向上が進んで1931年(昭和6年)に起きた満州事変を境に受信者数が急増しました。
政府が国防強化の面からラジオ放送を聴取することを奨励したので普及に拍車がかかりました。
しかし、ラジオはまだ真空管式で商用電源の普及とともに一般家庭でも設置できるようになりましたが、大型で木製ケースのものが主流でした。
トランジスタラジオの登場・テレビの普及
1950年代に民間放送が、開始されて1960年代に入って「トランジスタラジオ」が登場ました。ラジオは一家に一台から1人に一台の時代になりました。
そしてラジオ放送局は個人をターゲットとした番組を増やし、深夜放送もこの頃から盛んになりました。
1960年代は、テレビが爆発的に普及した時期ですね。トランジスタラジオが主役の時代はごく短かったんですね。
それでも、トランジスタラジオの商品群の中には野心的製品が幾つかあって、今でもマニアの収集対象になっています。
近年の記録メディアの登場・今日のメディアへ
また、カセットテープの普及で「ラジカセ」も登場してCD,ビデオ、DVDと続く個人的な記録メディアの先駆けとなりました。
いま次々と登場してくる新しい情報機器に私はもうついていけなくなっていますが、ラジオ、テレビと移り変わっていく中で今の私と同じようにに感じていた人も居たんだろうな。時代は生きて流れているんですね。では、また。