おかず釣り師が行く!ー 2022年10月30日・浜の鰺、31日・波止の太刀魚と鰺 ―

海とは、時に理不尽で、時に優しく、そしていつも人間を手玉に取る。十月の終わり、私はその海にまたしても挑むべく、ひとつ息をついて竿を握った。

※気象庁HPより引用

波が育てる「遠さ」という壁

 浜の鰺釣りは、静かなときなら実に呑気だ。クーラーに腰をかけて、重さのない投擲で仕掛けが鰺の群れへと吸い込まれていく。しかし、この夜はちがった。前線が忍び寄り、波がふくらみはじめていた。波はただ白く砕けるだけではなく、魚の気配を奥へ奥へと押しやる。

※気象庁HPより引用

そうなると、遠投はもはや「技」ではなく「義務」である。 下カゴ仕掛けは扱いやすいが、飛距離が出ない。潮が緩い夜には、撒き餌がゆっくり沈むおかげで重宝する仕掛けだが、この夜ばかりは私の手に余った。結局、上カゴの上錘へと鞍替えすることになった。

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隣に立つ名人という“教科書”

そこへ、遅れてやってきた鰺釣り名人が黙って隣に並ぶ。彼は海を読む。潮の向き、波の癖、風の機嫌。長い沈黙の末、必ず潮下に陣取る。
 「サビキは潮下が利く」――それを語らずに示してくれる。

名人は下カゴのまま、抜群の撒き餌さばきで早々に7尾を釣りあげ、私はボーズ。サビキの値段の差など普段は気にならないが、こういう夜には露骨に現れる。

しかし、波がさらに大きくなり、遠投が必須となった瞬間、形勢が変わった。名人の下カゴは距離が出ない。私は上カゴに変えたことで、ようやく鰺の影を捉えはじめた。

 あの名人ですら届かぬポイント……海は時に残酷なほど公平だ。

※気象庁HPより引用

翌朝、岸壁にて“ウキなし”の自由

ほとんど仮眠とも言えぬ睡眠時間で目をこすり、日のまだ差さぬ岸壁へ向かった。前夜の遠投続きで腕は重い。だからこそ、この朝は「ウキなし」で太刀魚も鰺も狙うと決めていた。

 ウキの影に頼らず、餌が潮に漂うまま沈んでいく。太刀魚が咥えたときの違和感を極力消し、竿はロッドホルダーに載せ、魚の意思に任せる――私の“お任せ太刀魚釣り”である。

もちろん、時合いが来ればそんな悠長なことはしていられない。竿を握りしめ、早合わせして逃すのも毎度の儀式である。

夜明け前の静寂、そして太刀魚の銀色の刃

集魚灯を掲げてしばらくすると、小気味よい重みが竿に走る。二十センチ前後の鰺が三尾。そして太刀魚が一尾。
 光に照らされた銀色の斑が、暗闇をスッと切り裂くのはいつ見ても美しい。

 六時を回るころ、太刀魚の活気が増し、鰺の竿がふいに大きく弧を描いた。三十五センチを超える良型。嬉しさが胸を突く。
 ところがそこを境に、鰺はぴたりと姿を消した。

サバは来ず、海は今日も気まぐれ

完全に明るくなればサバが回る――そんな期待も虚しく、この日は姿を見せなかった。
 私が着ぶくれした上着に朝日が差し込み始めたころ、沖側の常連に聞くと、彼も似たような釣果だったという。

 結局のところ、海の「上か下か」は、案外その日の気分次第なのかもしれない。沖の一等地より、手前の丘寄りの方がふと良い顔を見せる日もある。海に通い詰めた先輩から教わったことだが、実践してみればなるほどとうなずくばかりだ。

 こうして二日間の釣りは幕を閉じた。
 海は毎度、何かひとつ教えてくれる。
 波が育てる距離、魚の気配、そして「今日は釣れない」という事実すら、海の持つ物語の一部である。

 

では、また。

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