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おかず釣り師が行く!「釣りたければ、魚の居るところで釣れ!」か?

「魚がいなければ釣れない!努力は報われない。」この当たり前の悲しい現実を最近いやというほど味わいました。言い換えれば「魚さえいれば釣れる筈」という事になるんですよね。ちょっと冷静になって考えてみればごく当たり前の話です。

 

ここ半月ほどの事。釣れていないのはわかっていてもつい時間があれば釣り場に足が向いていました。ま、釣れていないから釣り場も「貸し切り」とまでは行かなくても空いています。釣れている頃なら競争が熾烈でのんびりしていたんじゃ座れる釣り座がないのは当たり前です。

 

私の場合なんかは特に気後れするたちだから割り込んでまで良い釣り座をゲットできることはあり得ません。なので、釣れない時期にあこがれだった釣り座に座って釣れた気分を味わってる部分もないとは言えませんが、やはり釣りは「釣れてなんぼ」の世界ですからね。釣りたければ「釣れているところで釣れ!」という事か?

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釣り師独特のスケベ根性

では、何故?釣れないとわかっていても釣りに行ってしまうんでしょうか?一つには今は釣れていなくてもかつては爆釣の人気スポットでもあるわけで、今は釣れていなくても次の爆釣の自分が一番乗りに成れるんじゃないか?今日が爆釣の第一日目だったらいいな!?と思う「抜け駆けしたい気持ち」がどこかにあり、

 

また「ほかの誰もが釣れなくても自分になら釣れるかもしれない」という「つまらない自負の気持ち」も確かに誰もが持っているからでもあるんですよね。これらは恐らく釣り人独特の「スケベ根性」と言えるものなんじゃないでしょうか?

 

澄ました顔で抜け駆けしてでも貴重な一匹に辿りつきたい!ま、釣り場では「正味、釣ったもん勝ち!」ですからね。どんなに経験を積んでいても、どんなに良い道具を持ってきてどんなにいい餌を使っていても、釣れなければ釣れない仲間。「偶然か?実力か?」何かはわからない作用によってでも「たまたま釣れたら、それでOK。釣れた仲間」なんですから釣りってホント、シビアな世界です。

ボーズの日も

今回、私には釣れない日が続きました。「もちろん最悪はボーズの日」もありました。そんな日にも釣れる人には釣れるんですよね。もちろん爆釣ではありませんでしたが、一匹でも釣れた人とボーズとでは雲泥の差です。

 

以前通っていた釣り場で少しばかり釣れたもんだから、釣れなくて誰もがいなくなっても「また、釣れる筈」と粘って通い続けたのが仇になってしまっていました。魚がいないのにどんなに頑張ってみても釣れるわけがありません。私が過去に拘って動けないでいる間に同じ釣り場に通っていた面々はさっさと新しい釣り場に移動していきました。

 

いい加減に私も頭を切り替えてみんなの後を追って別の釣り場に移動しました。やはり釣れますよね。魚が居るんだから釣れる筈です。こんな端境期には短いサイクルで釣れる場所も変わりますし、釣り方も変わります。少しぐらい釣れたからと言って「一つのことに拘り続けるのは良くない」というのが今更ながらに今回得た教訓です。

釣りは魚の居るところで釣るべし

爆釣の一番乗りを狙うのもいいですが、それには「釣れない間の我慢」が必要です。丘ッパリの釣りは、ある意味魚が回遊して来るのを待つ釣りであり、またある意味魚がいる釣り場を探して釣り人が回遊?する釣りでもあります。

 

爆釣している時には何でもない一匹が、釣れないときにはホント貴重な一匹になります。同じ釣りをするなら少しでも短い時間でホイホイ釣れて楽しく釣りをしたいものです。そのためにはフットワークよく釣り場を移動して「釣れている旬の釣り場」で釣ること。

 

「旬の釣り場」を探し当てるには情報をよく集めて自分の目で確かめること。同じ釣り場に拘るのもいいが、釣れない期間が長ければ長くなるほど精神衛生上も良くない結果が待っています。釣れなければ「拘って通うのを一休み」して、釣れている釣り場を探すことに専念してみても良いんじゃないかな?        

 

では、また。

こんなことって!?「深い釣り場より浅い釣り場の方がよく釣れる」