おかず釣り師が行く!「波止釣りは 魚が居れば 釣れる筈」

良く釣れる日には、ただそこにいて釣りをするだけで釣れますが、釣れない日にはどんなに知識や技術を駆使しても釣れないものです。波止釣りの場合は大抵魚がそこにいれば釣れるのであって、釣れないのは魚がそこにいないからなんですよね。

そう考えれば、釣りの面白味が半減してしまいます??周りの誰もが釣れなくてある人一人が釣れるというような特殊な状況は別にして、たいていは釣れる日に行けば誰でも釣れるのであって、釣れない日にはどんな名人にも釣れないものなんですね。

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極端な話ではなくて

「全く釣れない」または「爆釣する」というような極端な話ではなくて、ただ「其処に釣行した甲斐がある」程度の時合や釣果は波止釣りに関しては釣り師の腕前に関係なくほぼタイミングに支配されているといっても過言ではないと思います。

そのタイミングというのは単に魚がそこにいるタイミングかどうか?という事で波止釣りの場合はほぼ間違いなく魚が居れば釣れるという構図が成り立つように思われます。これは、波止場で釣れる魚が其処を生活の場や寝床にしているというよりは、波止場に回遊するのは摂餌の目的の為という方が正しいかもしれないと推測されるからです。


安心な深場や藻や障害物の有るところなどを離れて比較的浅い身を隠すものの少ない波止場に回遊する目的となれば「餌を探すこと」と考えるのが自然でしょう。もちろん大型の魚に追われて波止場近くに逃げ込んでくる場合もあるでしょうが、その場合でも追われた方も食べ物が必要だし、当然に追った方は食べる目的だし。

都合よく波止場は魚の食卓に

こう考えれば波止場に近づく魚は例外なく餌を探している魚という事になって「居れば釣れる」という図式は成立してしまいます。では、そのような「居れば釣れる筈」の魚でも短い時間の間に釣れたり釣れなかったりするのはなぜなのでしょうか?

それは、彼らが摂餌の為に広い波止場を彼方此方と移動するためと潮流や構造物の形によって餌の集まるところや摂餌しやすい場所は当然あるわけで特に魚の群れが小さいときなどは、そのような周囲の環境の影響が釣果を大きく左右する場合があります。

このことから魚は居れば釣れるが、潮の向きや釣り場の形によって餌がよく集まる場所が形成されて、良く釣れる場所とそうでない場所ができてしまいます。「波止場は魚の食卓」と言ってもその食卓には食べ物が大盛りにされた場所もあり、またそうでない場所もあったりして均一ではないという事ですね。

釣れているときに良く釣れるポイントに

「居ればほぼ間違いなく釣れる」という話を書いてきましたが、釣行する身とすれば「釣れている時(魚がいるとき)に釣りに行きなさい!」という事になります。昨日まで釣れていなくて、突然今日から釣れる?という事は誰にもわかりません。魚が餌を探しているかどうかも(餌を付けて)釣り糸を垂れてみないとわからないのです。

一番乗りする人はヤマ勘で「ボチボチ釣れる頃だろう?」と試しに来る人や「何も考えずに来て釣ってみたら釣れた」というラッキーな人のどれかでたいていは「こまめに偵察を重ねて誰かに釣れてていたら自分も出動する」という人が多いものです。

魚がいることは皮肉にも釣れていることで確かめられて、あとは良く釣れるポイントの選択ですね。これも日ごろの偵察がモノを言います。やはり自分の目で見て何処が釣れているか?を確かめておくことが一番だと思います。自分の釣り方に合ったポイントを幾つか探しておくことです。

結局は「釣れているときに釣れている場所で釣れ」

結局は「釣れているときに釣れている場所で釣れ」という当たり前のことを検証しただけに終わりましたが、この格言めいたものが確かなものであったことの確認にもなりました。あはは。台風で釣りに行けなくてこんな妄想をしていました。

判り切ったようなどうでもいい話に長々とお付き合いいただきありがとうございました。さて台風も行ったことだし、1~2日もたてば釣りに行けそうですね。「荒れた後の大釣り」を楽しみにしましょうか。  

では、また。

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