7月なのに豆アジが釣れない。今年の海は何かが違う?土用波と海の不思議を考える朝

7月10日。
例年ならイワシや豆アジが数釣りできる季節だ。夜明け前から堤防には延べ竿を持った人たちが並び、小気味よく竿を上げるたびに小さな魚が鈴なりになる。そんな光景が当たり前の時期である。
ところが今年は様子がまるで違う。
イワシも豆アジも群れが小さく、釣れても単発。せっかくシーズンを楽しみにして、針や仕掛けの材料を揃え、新しく延べ竿まで買って待っていたというのに、その期待は肩透かしを食らったような状態が続いている。
「今年はどうしたんだろう。」
釣り人なら誰もが同じことを口にしている。
今年の夏は、南の海で次々と台風が発生し、西へ進んで中国大陸へ向かうものも多い。日本へ直接接近しなくても、その影響は海にはしっかり現れる。

昔からこの時期には「土用波」という言葉がある。
子どもの頃、「夏の海は天気が良くても急に波が高くなることがあるから気を付けなさい」と聞かされた記憶がある人も少なくないだろう。
最近、私が釣行前に参考にしている沿岸波浪予報を見ても、その言い伝えを思い出させるような日が多い。空は青空で風も弱い。それなのに予想される波の高さはなかなか下がらない。
南海上にあった台風がはるか西へ移動し、中国大陸へ上陸した後でも波高が残っている日がある。
これこそが土用波というものなのだろうか。
そんなことを考えながら今朝も釣り場へ向かった。

しかし、肝心の魚は今日も渋い。
周りを見渡しても誰も釣れていない。
自然と釣り人同士の会話も、「今日はダメだね」「今年はおかしいね」「土用波のせいかな」といった話題ばかりになる。
その中で、誰からともなく気付いたことがあった。
海水が落ち着かないのである。
目の前の海面を見ると、海水が右へ流れたかと思えば、すぐ左へ戻る。また右へ。
その動きが実に忙しい。
もちろん潮の満ち引きによって流れが変わることは珍しくない。しかし普段は一方向へある程度流れ続ける時間がある。潮が変わるまでにはそれなりの間隔があり、その流れを読んで釣りを組み立てることができる。
ところが今日は違う。
まるで鍋の中をかき回しているように、目の前の海水が絶えず右往左往している。
潮汐だけでは説明できないような、不思議な動きに見えた。

その影響なのか、撒き餌を打つと豆アジの群れは確かに寄ってくる。
ところが、その群れごと撒き餌の帯が左右へ振り回されてしまう。
ようやく魚が集まったと思ったら釣れるのは一匹か二匹。
その直後には群れごと流されて姿を消してしまう。
また撒き餌を打つ。
また少し寄る。
しかし、また左右へ散ってしまう。
そんな繰り返しだった。
本来なら、ある程度流れが定まっていれば、潮下にいる魚は撒き餌の匂いをたどってサビキ仕掛けまで集まってくる。
ところが今日は、その匂いの筋そのものが安定しない。
海水が絶えず撹拌され、匂いの帯ができないため、魚も落ち着いて餌を追えないのではないか。
もちろん、これはあくまで私なりの推測である。
水温、潮流、ベイトの状況、台風のうねり、さまざまな条件が重なって今年の釣果が伸びないのだろう。
自然相手だからこそ、一つの原因だけで説明できるものではない。
それでも、長年同じ場所へ通っていると、「今日は海がいつもと違う」という感覚だけは確かにある。

釣れない朝は少し寂しい。
それでも夜明けの澄んだ空気を吸いながら海を眺め、顔なじみの釣り人と「今日はダメだね」と笑い合う時間は悪くない。
魚が釣れればもちろん嬉しい。
しかし、釣果だけが釣りではないのだと、こんな朝には改めて思う。
太陽が高くなり始めると、堤防のコンクリートも一気に熱を帯びる。
「今日はこの辺で帰ろうか。」
竿をたたみ、道具を片付ける。
釣れなかった不満も、海を眺めながら誰かと話しているうちに、波間へ溶けていく。
朝の散歩代わりに竿を出し、その日の海の機嫌を眺める。
それもまた、私にとって大切な夏の朝のルーティーンなのである。