風早の浜の白波いたづらにここに寄せ来も見る人無しに 万葉集 ・・私は今日もアジを釣る人

※日高川河口近くから眺める朝日

風早の浜の白波いたづらにここに寄せ来る見る人なしに ・・

これは長意吉麻呂(ながのおきまろ)と言う人が大宝1年(701年)10月、

持統天皇(じとうてんのう)と文武天皇(もんむてんのう)の

紀州行幸の時にに詠んだ歌とのことです。意味は、

「 風のないと言われている浜に白波がむなしくここに寄せてきます。

だれも見る人がないというのに。 」と何かちょっと寂しげな感じの歌ですよね。

 

一説には、此処にうたわれている浜辺は

「私がいつも鰺を釣っている 煙樹ケ浜だ」という説もあるようで、

そういえば 夕暮れの浜辺は夕日が赤々と染めて鮮やかな日もあれば、

曇りがちで釣り人が誰もいない日などは物悲し気な日もあるなあ。

※朝の煙樹ケ浜
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熊野古道

熊野古道は、京の都から熊野本宮大社に至る参詣道の総称で、

煙樹ケ浜の近くを通っているのは、熊野古道のうちの紀伊路なんですね。

この紀伊路が田辺の辺りから山の中を通る中辺路と海の近くを通る

大辺路の二つに分かれているんです。

で、この紀伊路を旅してきた旅人がそれまでは

時折見えていた海の景色をたっぷりと見れるようになるのが、

この煙樹ケ浜より少し南のところからなんですね。

其処には歌碑が残っていて

「吾が欲りし 野島は見せつ 底深き 阿胡根の浦の 珠ぞひろはぬ 」・・万葉集。

意味は 「私が見たかった野島の風景は見せてもらったが、

深い海の底の阿胡根の浦の真珠はまだ拾っていない」というものらしい。

因みに熊野古道に欠かせない「王子跡」も数多く残っていて

実際「日高港湾」にそそぐ川も「王子川」って名前なんですよね。

※壁川(かべご)崎近くにある歌碑 ※作者の中皇命(ナカツスメラギノミコト)は斉明天皇であるといわれています。

釣り場からは「万葉人が見たであろう風景も」

モチロンですが時代とともに開発されて万葉の時代からは

様変わりしてしまった風景もあります。

ただ、和歌山は幸いなことに過度な都市化からは免れた土地も多く

風景も昔と変わらないところも残っているはずです。

私達が竿を出しながら見る風景は、

かつて万葉人が見た風景と同じかもしれない。

釣りをしながらそんな風情も楽しめるのなら贅沢ですよね。

身近にこんな環境があることに私たちは感謝しなければなりませんね。

その上で出来れば釣り場に向かう道中に「例えば王子跡」などがあれば

ちょっと足を止めて眺めてみるの良いかもしれないし、

歌碑などがあれば文字をなぞってみても良いかもしれませんね。

※煙樹ケ浜の夕暮れ

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